映画「ちいかわ にんぎょの島のひみつ」を観てきました

目次
- ○ 映画『ちいかわ』と白熱教室。簡単には答えが出ない「正義」と「人間の葛藤」について
- ・双方にある「そうするしかなかった理由」
- ・私たちの日常と、「言葉にできない葛藤」
- ・🪢結び 相手の「見えない背景」に、想いを馳せること
- ○
映画『ちいかわ』と白熱教室。簡単には答えが出ない「正義」と「人間の葛藤」について
先日、巷で話題の映画『ちいかわ』(島編)を観てきました!
ちいかわの世界観はなんとなく知ってはいたものの、子どもから大人までファンがいる愛らしい
キャラクターたちだし、夏休みだからきっと子供向けなんだろうなぁと思っていたんです。
とはいえ、「怖い、子どもが泣く・・・」というレビューが多くて。これは観るしかない。
ほのぼのとしたストーリーで、歌もかわいい、うん、大丈夫じゃない?なんて思っていたら、たまに怖いシーンが・・・内容もこれはちょっと子供には難しいかなぁ、でも、島は平和になったしなぁ・・・
ちいかわの想いや、島を去った二人、セイレーンはこれから・・・なんて思いつつエンドロール。
(あ、私はどんな映画でも最後までクレジット観る派です。)
あー、やっぱり続きあるよね・・・
灯りが点いた後のなんとも言えない沈黙・・・・私も思わず「怖っ」。
まあ、因果応報なのかな・・・子どもにはちょっと複雑かな・・・
SNSでも考察がいろいろあって、なるほどね、ふむふむ、原作は・・・
なんて考えていた時にふと思い出したのが、ハーバード白熱教室(マイケル・サンデル教授の講義)の「正義とは何か?」という問いでした。
双方にある「そうするしかなかった理由」
映画の中で起きる悲劇は、決して誰かの「純粋な悪意」から始まったものではなく、
「瀕死の命をなんとかして救いたい」という切実な想い
「奪われた大切な存在の無念を晴らしたい」という譲れない想い、であったかと。
双方に「そうするしかなかった理由」があり、どちらの立場にもそれぞれの「正義」と「深い葛藤」が存在していました。
サンデル教授の白熱教室でも議論されるように、正義と正義が真っ向からぶつかり合ったとき、そこには誰もが納得するような「たった一つの最適解」なんて存在しません。
双方の事情と真実を知ってしまった第三者のちいかわたち(うさぎはちいかわの苦悩を知っていたのか・・・それも気になる)が、安易に誰かを裁くこともできず、答えの出ないモヤモヤを抱えたまま静かに島を去った姿こそが、まさにその「不条理さ」を物語っていたのか。
ハチワレが歌う「今日の日はさようなら」もいろいろ考える一つになりました。
私たちの日常と、「言葉にできない葛藤」
この「正義の衝突」や「最適解のない不条理」は、遠い映画の世界だけの話ではないのでは?
私たちが生きている日常の対人関係や、社会の中でもまったく同じことが起きているように思います。
「自分は正しいことをしている」
「相手のためを思って言っている」
そう思って発した何気ない一言や振る舞いが、知らず知らずのうちに誰かの「正義」や大切にしているものを踏みつけているかもしれない。
悪意がないからこそ、自分では「誰かを傷つけいていること」にすら気づけない。
そして人間には誰しも、人には言えない後悔や、他人から見たら非難されるかもしれないけれど「あの時はそうするしかなかった」という、心の中の「秘密の箱」を抱えて生きているのではないでしょうか。
「話し合えば分かる」「謝れば元通り」というのは、時に人の複雑な葛藤を無視した綺麗事になってしまうことがあります。
🪢結び 相手の「見えない背景」に、想いを馳せること
簡単には答えが出ない問題や、双方に言い分がある人間関係に直面したとき、私がいつも大切にしたいと思っていることがあります。
それは、安易に「どちらが正しいか」と裁くのではなく、「相手にも、言葉にできない葛藤や言えない背景があるのかもしれない」と想像することです。
そして同時に、「自分自身の正義も、無意識に誰かを傷つけているかもしれない」という自戒を持つこと。
「自分は絶対に正しい」という頑なな思い込みをそっと手放し、お互いの「簡単に割り切れない葛藤」にそっと寄り添うこと。
それこそが、人が本当の意味で互いを思いやり、心を通わせるための第一歩なのではないでしょうか。
みなさんは最近、誰かの「見えない葛藤」に心を寄せる瞬間はありましたか?